その言葉、どれほど耳を傾ける価値があるか?

真面目過ぎるのも考えものなんですよね。

時々、一挙一動をね、重箱の隅を楊枝でほじくるようなね。

行動をとる人がいる訳ですよ。

 

時には、会話の1から100まで受け止めて精査しなくても、

簡単に聞き流すことも大事ですよね。

 

例えば、悪意のある人間から、発せられた言葉に

どれほど影響されるか、ということですよ。

馬鹿らしいです。

 

時たま、Aさんの、思い付きの発言をどれだけ

重要視するか?ということです。

 

「何事も、100%無駄である。」とは言いません。

でも逆を言えば、『何事も、100%価値がある。』という訳でもありません。

 

抽出する作業が大事なんですよ。

「このAという部分は正しいかもしれない。改善すべき点かもしれない。」

「でも、Bという部分は間違っていない。」

 

それで、こう考えます。

「言い方や伝え方がが悪かったのか、それよりも、内容が相手の価値観にそぐわなかったのか。」

 

明確性や正確性というモノサシをもって、その現象をとらえます。

 

例えば、両親や身内の言葉も、100%正しいかどうかなんてわかりません。

そんなことは、判断できません。0か1かの発想は、人間関係には危う過ぎます。

でも、近しい人の意見は、的を射てることが頻度としては高いですね。

 

そりゃ、全く赤の他人の勝手なイメージで解釈されるのとは大違いです。

沢山の同じ時間と空間を共有しているわけですからね。

心理的にも物理的にも、距離が近いので嫌なところも、見えてくるでしょう。

 

でも、大事なのは、「自分にとって、どれほど重要か?」それのみです。

勿論、意思決定プロセスには、妥協という概念も重要ですけどね。

 

まとめ

自分をどう捉えるか。自分の大事なものはなにか。

それが明確になれば、それが脅威にさらされた場合に、守るという行動がとれる。

他人からの影響をどれだけ受け入れて、どれだけ捨てるか。保留するか。